冬の信州で人生の定宿を見つける旅
~ 花仙庵 仙仁温泉 岩の湯 ~
~信州の山里に佇む秘湯へ~
長野県須坂市の郊外、スキー場で有名な菅平高原の麓に「花仙庵 仙仁温泉 岩の湯」という小さな旅館がある。立地はお世辞にも便利なところにあるというわけではない。しかしながら、このお宿はホームページを持たないばかりか、宣伝広告というものをしなくても、およそ半年先まで18部屋はほとんど予約が一杯で、「日本一予約が取れない温泉旅館」と呼ばれることもある。なぜこの山間の小さなお宿が、多くの宿泊客の高い支持を得ているのか、社長の金井辰巳さんにお話しを伺う為、北信州・須坂へと足を運んだ。
(写真:岩の湯ラウンジ)
もうひとつのふるさと 花仙庵 仙仁温泉 岩の湯 二連泊~旅館は人生の旅の舞台~
八百屋だった社長のご両親が古い一軒宿を買い取り商売を始めたのが1959年。ご両親は必死に働いたがなかなか売上が伸びず、当時、月の売上がサラリーマンの月給の半分ほどしかない時期もあったという。働き続けた末に病気で倒れた母を見た時、「旅館業は働く人を幸せにする商売ではない」と、まだ20代だった金井さんは思い知らされる。儲かる旅館にしたいとあらゆるホテル・旅館を見て回ったこともあったが、当時は団体旅行ブームの時代、宴会や色街が付きものの大規模な温泉地が流行り、仙仁温泉はいわば時代遅れの存在だった。
(写真:岩の湯主人 金井辰巳氏)しかし、そうした中でも、金井さんは団体旅行ブームの中に、ある種の違和感も感じたという。そして山の中の一軒宿だからこそできることを目指していくことにする。「世の中の役に立つ仕事、人々の役に立つ仕事は、何もない山の中の一軒宿でもきっとある。それはお客様の“人生の旅”となる舞台を作り上げることだ。」
岩の湯の方向性が見えた瞬間だったと金井さんは振り返る。
(写真:旅行企画者 浅田康宏)~ふるさとのような場所~
金井さんが社長に就いた頃は家族を含め7、8名での経営だったが、平成元年のリニューアルを機に従業員20名で再スタート。当初から従業員の働き方には配慮したものの、すぐに人間関係でトラブルが発生してしまう。トラブルの原因を議論する中で、働く者の繋がりが欠けていることを金井さんは痛感する。つまり家族経営であれば「血」の繋がりがあるが、企業経営には何もない。異なる生き方をしている全員が共感できる核、すなわち「経営理念」が必要であると金井さんは考え、その後様々な曲折を経て、経営理念「我社は幸せをアートする」を定める。「岩の湯はお客様に対して“ふるさとのような場所”を提供する。日本中が都市化され常に時間に追われるこの時代において、旅館は自分らしさや家族らしさを取り戻す場所でなければならない」「我々は決して有名旅館や高級旅館というものを目指さない。それはあくまで手段であって目的ではない。目標は従業員やその家族が幸せになること、奥さんや旦那さんや子どもが家で寂しい思いをしないこと、これが旅館経営の基本である。」という。
(写真:岩の湯 スタッフ)岩の湯館内は、山の斜面を利用して外に出る回廊を造ったり、あえて階段を多めに設けたりしているが、これは不足、不便、不揃いといった“不”を活かす金井さんのアイデアでもある。「便利過ぎると助け合うことがなくなる。不便なところにいると家族が自然に助け合う。これが岩の湯の考える癒しであり、家族らしさを取り戻す仕掛けでもある。」
(写真:岩の湯 名物洞窟風呂)~お母さんの愛情のように~
岩の湯には接客マニュアルというものが一切ない。それは従業員に対し“お母さん”のような気持ちでの接客を求めるから。仮に対応すべき課題が一万個あったとして、全て解決しても次の一万個が出てくるはず。従業員は常に“お母さんだったら子どもにどう接するか”を自ら考えながら対応にあたるという。
また、岩の湯は年間で30日以上の休館日が設けられている。しかもその休館日は春休みの他、夏のお盆時期、クリスマス時期、そして年末年始である。年中無休が当たり前の業界において、しかも最も繁忙期で宿泊代金も通常より値上げが可能な時期にあえて旅館そのものを休館日にするのは、「従業員とて人間、この時期は誰だって家族水入らずで過ごしたいだろうから」だと金井さんはその理由を語る。こうした従業員とその家族思いの経営姿勢が、お客様への感動サービスへと繋がっているのであろう。
母親のような優しさに満ちた極上のお宿が、この冬、皆さまをお迎えいたします。(写真:岩の湯 宿泊者専用ラウンジ)
写真提供/山田毅 文/浅田康宏ツアーページへはこちらから
もうひとつのふるさと 花仙庵 仙仁温泉 岩の湯 二連泊